店主の履歴書
私は昭和43年(1968)生まれの猿年O型です。
小学校は京都市立衣笠小学校。
通知票の成績はいつも5段階評価の3とか2がずらりと並んだぼんぼんの勉強嫌いタイプ。
小学校の頃は旅行好きの祖父に1ヶ月に1回というペースで国内の泊まり旅行に連れて行ってもらっていました。
歴史好きで鉄道マニアだった祖父はその頃の国鉄のキャンペーン「いい旅つくろう20000キロ」というのを利用し
孫の僕と2人で日本全国の鉄道路線を全て制覇するのが夢だったのですが小学6年生の後半くらいから持病の肺を悪くし体調をくずしてしまってからはそれが出来なくなりました。祖父は戦争で満州に出兵しその後シベリアの収容所に長い間入れられていたとよく聞かされていました。中学しか出ていないのにものすごい勉強家で自宅にも店にも公営の図書館の蔵書くらいの沢山の専門書の本がありました。
僕が旅行好きで本が好きなのもあの頃のおじいちゃんのお陰だと本当に感謝しています。
僕は小学生の頃は誰からも「おとなしい子」と言われました。体は全然悪くないのに「引っ込みじあんのぼっちゃんタイプ」。
顔がすごく白くてなんかひ弱。
・・・いじめたくなるタイプだったのでしょう。
小学校内では全くいじめには遭いませんでしたが学区外の「習い事」ではさんざんないじめに遭いました。
今から考えるとそんなもの何故さっさと辞めなかったのか不思議なのですが、それらに通う前に「頑張ってやるから行かせてくれ」と親に言った手前、小学生なりのプライドがあって続けざるをえなかったのです。
「剣道の道場」や「サッカークラブ」や「学習塾」にも通っていたのですがどこへ行ってもとにかく友達が1人も出来なくていじめられました。
要は性格がやさし過ぎるのです。
いじめられているのに、やり返す体力くらいあるのに、もしやり返したら「親に迷惑がかかるのじゃないか」とか「親の仕事に差し支えるのじゃないか」と常に考えていました。
常に「親に心配をかけてはいけない」と、いじめられている事実をひた隠しにしていました。
中学に入ってからはさらに輪をかけるような「いじめ」が待っていました。
クラスで友達が出来なかった事と、とにかくおとなしくて無口だったので中2の中頃までは本当にいじめられ続けで学校生活は地獄でした。学校に行くこと自体が苦痛苦痛でで毎日寝るときにはこのまま楽に死ねたらどんなにいいだろうと思っていました。
自殺するのは恐いし出来なかった。
中学校は家から歩いてわずか5分の距離。すぐ近くだったので親の目もあるので行かないでさぼる訳にもいかず・・・。
これが今の時代だったら登校拒否児だったかもしれません。
特に寂しいのは遠足とか運動会です。友達がいないので一人ぼっちで木影でお弁当を広げて食べる事は本当に辛かったです。
体育の時間、たまに何かをペアでする運動があるのですが誰も相手にしてくれないのでいつも一人ぼっちでした。
その頃は「いじめ」がひどく勉強どころではなかったので成績も最悪でした。高校の進学を心配した親が家庭教師の大学生の先生をつけてくれました。両親は僕が毎日学校でひどいいじめにあっている事に全く気が付かなかったようです。
この家庭教師の先生との出会いが僕の真っ暗な学校人生を逆転してくれた恩師なのです。
その人は僕の情けなさを見かねて自分が通う「空手道場」に僕も通うようにすすめてくれました。
本来は勉強を教えに来るだけの家庭教師がスポーツまでも教えてくれたところがまた何とも面白い人なのですが。
小学校の頃に「剣道の道場」でいじめられた経験から何か嫌な感じがしないでもなかったのですが、今度はその先生自身も一緒に行ってくれるという事で安心してついて行きました。
練習はきつかったけど師範の先生や友達に非常に恵まれものすごく自分自身に自信と度胸がつき、その2ヶ月後には
中学の教室で学年の番長と取っ組み合いの喧嘩をして、それからは全くいじめられなくなりました。あの「いじめられっこ佐藤が空手をやってる」という事実が学校中にあっという間に広まってそれまで僕をからかってイジメていた連中がすごくちっちゃくなってしまった事にはほんとうに愉快でした。
空手はその後2年間でやめましたが人生というのは何かの「きっかけ」でこんなに劇的に変わるものなんだと学びました。
いじめられっ子は気持ちがやさしい子に多いのです。
大抵は今の自分の状況より「親のメンツの心配をしている子」の方が多かったりするのです。
気持ちがやさしいのはもちろん大切ですが明らかな「外敵」に対しては自分の尊厳を保つために何らかの防衛手段を身につけてやるというのも子供を持つ親の責任の一つではないでしょうか。僕はたまたま素晴らしい家庭教師に巡り会えましたが、思い悩んで死を選んでしまう子も世の中にはいるのです。
20歳の頃外国が見てみたいという思いが募り、英語が全く喋れず知人もあてもない「ニュージーランド」へ一人
ワーキングホリデーに飛び出しました。
行っていきなりニュージ−ランド全土をくまなくヒッチハイクで旅をしました。乗せてもらった車の数合計148台。
その経験の中でもヒッチハイクで救急車に乗せてもらえたのには驚きでした。ほんとうに穏やかな国民性の素晴らしい国でした。
その1年後「カナダ」のワーキングホリデーへ。
そして「オーストラリア」のワーキングホリデーに出かけました。
それが終わると今度はカナダのウィスラースキー場でインストラクター資格をとりJTBのスキーガイドの仕事もやりました。
その頃は海外に暮らすという事がぼんやりとした目標で、いろいろな国をさまよいましたが、10年間近く外国に行ってみて一つ気が付いた事があったのです。それは自分が余りにも日本の事を知らないという事実。地元が京都でありながらテレビで見る程度にしか日本について文化も何も知らない自分を改めて知ったのです。
ヨーロッパの青年と話しをすると彼らは非常にしっかりと自分の国の文化とか良さを説明します。・・そう「説明が出来る」のです。
外国に行って日本人同志が喋る内容と言えば日本のテレビの話しばかりでした。芸能人がどうしたとか・・・。日本は狭いとか。
自分達の祖国である日本に対してすごく自虐的な事しか語らないのです。
やっぱり僕は日本人なのだから日本の良さをもっと知ろう。それを外国の人にもしっかりとアピール出来る人になろうと考えたのがこの店を継ぐ何かのきっかけになったのかもしれません。
今の私の最高の趣味は日本の古い照明の収集です。
よく「趣味と仕事を一緒にするな」と言いますが僕は違います。
手間をかけて集め、自分が一生懸命に修理をしたものを見て、それを喜んで買ってくださる方がいる。
僕はこの仕事が本当に好きだからやっています。
これが自分にとっての天職だと思ってやっています。
京都・タチバナ商会
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定休日:日曜日